2012年11月23日金曜日

築地市場にある第五福竜丸のプレート

第五福竜丸のこと、どれくらい知られているのだろう。
1954年、太平洋に位置するビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被爆したのが、第五福竜丸。
この実験で大量の放射性物質を浴びた第五福竜丸の船員23人のうち一人は、半年後に亡くなっている。
この時、第五福竜丸だけが被爆したのではなく、危険区域内で操業していた漁船は数百隻にのぼるといわれ、その被爆者数は2万人を超えると推定されている。

第五福竜丸は、マグロ漁船だった。
水爆実験で被爆した時も、もちろんマグロを獲っていた。
被爆したのは1954年3月1日。
そして、この時に漁獲されたマグロは同年3月16日に築地に入荷した。
国と東京都が行った検査によって放射能汚染が判明し、築地市場内の一角に埋められた。
埋めて大丈夫だったのかも気になるところ…。
それを忘れないために、築地市場正門から向かって左側にプレートがひっそりと埋め込まれている。
第五福竜丸の事件を忘れないために

意外に知られていないこのプレート。
水産新聞の記者になり、築地に通うようになって上司に教えてもらった。
きっと、教えてもらわなければ気が付かなかった。

プレートに書かれている全文を紹介したい。

”1954年3月1日、米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被ばくした第五福竜丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。
国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手にわたる前に市場ないのこの一角に埋められ廃棄されました。
 全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が落ち込みました。
築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。

 このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子供たちと共に、この歴史的事実を記録するため、ここにプレートを作りました。
マグロ塚を作る会
1999年3月1日”

水産物の放射能汚染がふたたび起きてしまった今、水産関係者の思いは…。
この第五福竜丸の被爆という歴史的事実から何を学ぶのか。
パニックになることを恐れず、しっかりと対応しなければ、10円募金した子供の思いは無駄になってしまうのではないだろうか。

<参考>
水産庁:水産物についてのご質問と回答(放射性物質調査)

勝川俊雄公式サイト:水産物の放射能汚染に関する情報(まとめ)

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