2015年7月27日月曜日

チョウチョの時間

うちの庭はミツバチ天国かと思っていた。
確かにそれは間違いないのだけれど、朝はどうやら主役が違うらしい。

いつものように天気の良い日は「暑い、暑い」と言いながら外で作業。
夏は暑いのが良い。しかも北海道の夏は一瞬しかない。
もっと楽しまないと!と変に焦る。

別に頼まれてもいないのに、ポスターづくりを買って出てしまった。
手は出さないって決めたのにバカね。
でもこれ、イラレより簡単じゃないか。これはいいな。
などと思いながら、初めてパワーポイントでポスターづくりを試みる。
センスもないのに凝り性で、考え込んでいた時。
ちらりと視界に虹色の派手な何かが飛び込んできた。

あ、クジャクチョウ!!
何かの目に似せたのか、でっかい丸い模様が2対。美しい。赤い目と青い目だ。


感動した。うちの庭にあのクジャクチョウが来ているのだもの。
特別チョウチョに詳しい訳ではなく、以前仕事で訪れた大沼で見かけたことがある。
その派手っぷりに感動していたら、「クジャクチョウだよ」と地元の方が教えてくれたのだった。
それ以来、クジャクチョウは頭にインプットされていたが、特別なチョウチョかと思っていたので、一人、ニンマリしてしまった。

そうかと思いきや、別のチョウチョもヒラヒラ飛んでいる。
基本は地味だけど、よ~く見ると小さい点が青く光ったりする。すごいメタリック。



ミツバチの天国かと思っていたけど、チョウチョの楽園でもあったのか。
ミントの強烈な爽やかすぎる臭いにつられてくるのか、それとも何か別のものに誘引されるのか。
ミントは外来種だけど、こんなにも昆虫たちに愛されているのであれば良いんじゃないかとさえ思ってしまう。
それにしても、彼らは一体いつから舶来物の美味しさを覚えたのだろうか。

午後になると、チョウチョたちはパッタリと姿を見せなくなった。
いつものように、ぶんぶんぶんぶんとミツバチが足に黄色い花粉玉を作るために飛び回っている。
ミツバチ王国復活の時間です。

2015年7月24日金曜日

失踪ミツバチ、うちに集まる?

うちの庭には、ミントがたくさんある。不思議なほど毎年毎年、増えていく。
最初はミントの繁殖能力が強いのだろうと思っていた。

花を咲かせる植物は、何らかの方法で受粉を試みている。
すぐに思いつくのは、虫によるもの。ハチとか、チョウチョとかが花の蜜を吸っているイメージ。
風に任せるという、随分と運任せというか、気の長そうな受粉の仕方もある。
さらに、水。水中植物なんかは風の代わりに水がその役割を果たす。
調べてみると、コウモリやカタツムリに花粉を運ばせる植物もいるそう。
なかなか奥が深い。

筑波大学のページにさらに詳しく載っているので、気になる人はどうぞ。
花粉媒介(筑波大学)


夏になると、外へ行きたくなる。
天気が良いのに建物の中で作業するなんてもったいないな、思ってしまう。
季節貧乏性としては、なるべく外へ出て仕事をするようにしている。
鳥の声が聞こえるし風も感じるし、案外場所を変えるだけで、なんちゃって優雅を楽しめる。

目の前にはミントの花畑。やたらミツバチがいる。
ぶんぶんぶんぶんぶん、飛んでいる。花から花へ、、せっせと花粉を集めている。
ブンブンたちは、競争でもしているかのような働きっぷり。
花粉を足に集めて運ぶらしく、どんどんどんどん黄色い玉が大きくなっていく様に目が離せない。

そうか、ミツバチが多いからミントが増えるのか!謎が解けてスッキリ!

いや待てよ。
世間じゃ、ミツバチが「消えた」とか「失踪した」と騒がれ、終いには「地球滅亡」などという物騒な話も聞く。
ハチがいなくなれば、野菜や果物の花粉を運ぶ存在がいなくなるということらしく、「地球上のミツバチが消えれば人間は4年も生きてはいけない」とアインシュタインが言ったとか、言わないとか。
とにかく、結構な大事として捉えられている。

しかし、うちの庭はどうだろうか。今も横でブンブン言いながら足の黄色い玉を大きくしている。
本当にミツバチは消えているのか。
農薬を使わないうちの庭に避難してきているとか?

花を咲かせてくれるミツバチさんたちは大歓迎。どうぞどうぞ、いらっしゃいませ。
全世界のミツバチがうちの庭に来て、うちの庭だけ花が咲き誇るってことが起きたりして!?

2015年7月19日日曜日

どうだろう、日本人男性のプライド。

「おっ!このおじいちゃまカッコいいな。」
そんな風に思わせてくれる身なりの整った、オシャレなおじいちゃまが時々いらっしゃる。

でも、そんなおじいちゃまにバスや地下鉄、電車の中で出会うとちょっと戸惑う。
席を譲るべきか、もしくは譲らざるべきか。。。
こちらからすると明らかにおじいちゃんの域に達しているものの、身なりはちゃんとしていて、なんならオシャレであるということは、「まだまだ自分は男性である!」と意識をしていると思うからだ。

以前、ペルーのカハマルカ(Cajamarca)郊外にあるプレインカ遺跡のクンベマヨと石の森(Bosque de Peidras de Cumbemayo)に行くツアーに参加した時のことである。
Bosque de piedras de Cumbemayo

この石の森。結構、アップダウンが激しく、道をふさぐように大きな岩があったりする。ツアー参加者の中には、家族で参加していたアルゼンチンからのおじいちゃまもいた。
大きな岩から降りるのに苦労していたおじいちゃま。
私は手を差し伸べ、声をかけた。「大丈夫ですか?」
しかし、手を取らない。。。

気付いた家族の中の息子さんと思われる人が手を差し伸べる。
するとおじいちゃまは彼の手を借りて、無事に岩を乗り越えることができた。
「男は、いくつになっても女性の手は借りないもんなんだよ。」と、息子さん。
びっくり。

そうか。男性はいくつになっても男性なのか。
女性が手を差し伸べることは逆に失礼になるんだな。
ラテン系の男性は男らしいもんだと、関心した。

日本人の男性はどうなのか。
もしかしたら、彼らもいつまでも男性でいたいと思っているのだろうか。
これまで何も気にせずに席を譲ってきたけれど、もしや男のプライドを傷つけていた!?
明らかに立っていると危なげなおじいちゃまには躊躇なく席を譲っている。
けれど、オシャレに気を使うようなおじいちゃまはどうだろうか。
悩む。