2012年11月21日水曜日

歴史的悲劇を伝える存在を物質的に残す意味。

原爆ドームを見たかった。
広島平和記念資料館に行って、自分が何を感じるのか知りたかった。

東日本大震災によって起きた東京電力・福島第一原子力発電所の事故。
原発と原爆は違う。
でも、両方とも原子力を利用している同類のもであり、切り離して考えることはできないと思う。
だから今、どうしても原爆によって被爆した経験を持つ広島に来たかった。

悲痛な事実を後世に伝える 原爆ドーム
原爆ドームの前にある石碑には、以下の言葉が書かれていた。

‟昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である。
~中略~
この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため、国の内外の平和を願う多数の人々の基金によってこれを補強工事を施し、これを永久に保存する。
昭和42年8月6日 
広島市”


原爆ドームは現在、当たり前のように保存され、世界中の人々に対して原爆の恐ろしさ、平和を願う心を伝えている。しかし、当初からスムーズに保存が決まったわけではない。
長い間、保存か取り壊しかという議論にさらされていた。
現在の被災地に残された建造物のように・・・。

広島市のHPによると、原爆ドームが保存へと動いたのは一人の少女の力が大きいという。
楮山ヒロ子さん
1歳で被爆し、15年後に亡くなった彼女は、「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけがいつまでもあの恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか」と残している。国内外での募金活動、さらには子供たちによっても保存運動が行われ、1966年にやっと広島議会で保存を要望する決議が行われました。
原爆投下から21年が経過していた。

原爆ドームは、被爆した方々にとっては、ただただ、つらく、苦しい経験を思い出させる存在なのかもしれない…。それでも、後世に原爆の恐ろしさを伝えることを選んでくれたことに、感謝せずにはいられない。

余談かもしれないけれど、現在、被災地各地で津波の恐ろしさを伝えるための建造物などが保存か、取り壊しかに揺れている。
一つの答えが、ここにあるような気がした。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑
また、広島平和記念公園内には、こんな石碑も立っている。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑】。

以前、来たときには気が付かなかった…。
広島市のHPによると、韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会が建てたもの。
当時、広島市内には数万人に上る朝鮮人がいて、被爆してしまったそう。

日韓併合により、多くの朝鮮人が生活基盤を失い、職を求めて日本に移住せざるを得ない状況だったと、広島市のHPでは説明している。
原爆による被害は、日本人だけでなく、そこにいたすべての人を被爆させたということを、忘れてはいけないのだと改めて気付かせてくれた。

海外に出て、韓国人の友人がたくさんできた。
それで今回、この慰霊碑の存在に気づくことができたのだと思う。
韓国の友人たちに感謝したい気持ちになった。
そして、この事実を韓国の人たちにもお知らせしたいと思った。

暗くなってきた。
広島平和記念資料館へ向かった。
広島平和記念資料館

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