2012年8月24日金曜日

“持続不可能”の先にあるもの。

世界自然遺産 知床
知らなかった。
世界遺産条約(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)が採択されて今年で40周年だそう。登録される時はかなり盛り上がるのに、40周年についてはほとんど報道されていない気がする。わたしがニュースをきちんと見ていないからなのだろうか・・・。
世界遺産条約の基本にあるのは、“人間が自然と相互に作用し合う方法に対する認識が深められ、「自然の保全」と「文化財の保存」は両立されるべきである” という考え方なんだって。
【参考】パンフレット(UNESCO) 世界遺産と持続可能な開発:地域社会の役割

この考え方って大切だと思う。
「世界的に残す価値があるから」 というだけでなく、なぜ、残す必要があるのか、なんのための登録なのかも併せて報道してほしいな。

40周年を迎えた今年のテーマは、「世界遺産と持続可能な開発:地域社会の役割」。
ちなみに、ロンドンオリンピックのテーマは、「持続可能性」。
さらに、今年6月には、10年振りに「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が開催された。

これだけ世界中で“持続可能性 (Sustainability)”という言葉が叫ばれている理由は、現在のわたしたちの暮らしが“持続不可能”だってことなんだな。
持続不可能という言葉の先にあるものはなんだろうか?
恐れずに直接的にいうと、「死」を意味する。
今すぐには死なないけど、近い将来の自分、もしくはそれ以上に自分たちの子孫の命はかなり脅かされていると言っていい。
でも、普段の生活の中では、その切迫感はほとんど感じられない。

じゃあ、どれだけ持続不可能な状態なのか。
人間がどれだけ地球に依存しているかを分かりやすく示す“エコロジカル・フットプリント”という指標がある。日本語に直訳すると、“生態学的足跡”。もう少し分かりやすく言うと、“人間活動が地球環境を踏みつけにした足跡」”。
【参考】エコロジカル・フットプリントで見る、日本がかけている地球への負担(WWF)

要するに、人間一人が暮らすためにどれだけの面積が必要かを示したもので、わたしたち日本人の暮らしには地球2.3個分が必要なんだって。
ちなみに、アメリカは5.1個、インドは0.4個となり、世界平均では1.8個分の地球が必要という計算になるらしい。特に先進国と呼ばれる国が資源を多く利用しているのが分かる。
この状況って、持続可能ではないよね。

世界遺産を増やすのもいい、保護区域を増やすことも必要。
でも、一番必要なのは私たちの生活スタイルを変えることじゃないかな。
地球1個分で暮らせるように、まずは自分の生活スタイルを見直さなければ。
過激な言い方だけども、自分たちの子孫を絶滅に追いやっているという認識を持つべき。
「自分さえ良ければいい」、「今が良ければ後のことは関係ない」なんて、ちょっと悲しいわ。
そんなこと思ってる人も本当は少ないって、まだ信じてる。
今のわたしたちの暮らしは、先進国と途上国の不平等だけでなく、“世代を超えた”不平等を生んでる。

食べ物も国産、地元産を選ぶとか♪
結構、切迫してるんだけど、まずは知ることからでしかない。
そして動いてほしい。世間が動かないくても、自分で変えていけることもあるもの。
それは、窮屈なものではなく、楽しめるものでもある。
考え方次第。視野を広く、楽しめる視点を持って行こう♪
【参考】 診断クイズ わたしの暮らしは、地球何コ分?(NPO法人エコロジカル・フットプリント・ジャパン) 

2012年8月12日日曜日

石巻の新たな顔!?

毎月毎月、なんだかんだと通っている石巻。
行くたびに表情が変わるんだけど、今回は思いっきり変わっていた。
何が変わったって・・・道行く人種?

自分も外から来ている人間であり、人の事は全く言えないんだけど、地元の人ではない30~40代の若い人がやたらと目立った。しかも、おしゃれな雰囲気。

このおしゃれな感じに、失礼ながら「ここは石巻なのか!?」なんて思ってしまう始末。おしゃれ過ぎて気おくれしそうになる。
話かけてみると、某大手IT企業の社員さんだったり、石巻以外から来た人々・・・。





しかもこの時、 ベルギーとフランスから来た若者たちと明治大学(?)の人たちが石巻の都市計画を考えるワークショップを開催していた。

そんなわけで、外国の人もあちらこちらに歩いている。ワークショップを開催している会場は、海外のネットカフェの様相。
もちろん、これまでだって石巻には多くのボランティアさんが入っていて、外国からの支援者もたくさんいた。
でも、これまでとは明らかに違う。


何が違うのか・・・。
きっとそれは、肉体派の支援からまちづくりという支援にシフトしてきてるということなのかもしれない。
特に今は、ISHINOMAKI 2.0 の活動が活発になっている。 滞在期間中は、彼らによる 「STAND UP WEEK 2012」 が開催されていた。石巻の伝統的なお祭りである「川開き祭り」に合せたもので、去年も開催している。
去年の開催時には、「復興バー」というものが誕生したらしい。これまた、しゃれた感じで、多くの若者が集まっている。










最近は、「復興民泊」なんてのも始まった。
震災前から使われていなかった部屋を利用して滞在できるように改築したもの。売り上げの半分は家主に支払われ、義援金として還元される仕組みらしい。


この呉服屋さんの2階が宿泊できるように改築されている。

ものは試しという感じで、女性専用の部屋(2段ベッドが3つある6人部屋)に泊まってみた。だってKさんが泊まってみたいっていうんだもん(笑)。1泊2,000円。全体で利用する共同のシャワールームが1つ設置されている。










空いている棚には、今後漫画がずらっと並ぶとのこと。バックパッカーで海外を回ったことのある人なら分かると思うけど、これまた海外旅行に来た感覚を覚える。

STAND UP WEEK 2012 のテーマは、「みんなを巻き込もう。未来を巻き込もう。」。
若い人がまちを闊歩し、活気ある感じがムンムンした。でも、何か違和感があった。“みんな”って誰なんだろう・・・。


もう1つ大きなうねりが。それが、Yahoo JAPAN!。7月30日にオープンしたばかりの「ヤフー石巻復興ベース」。
こちらもやっぱり30~40代のおしゃれ感満タンの方たち。専従の従業員さんが5人常駐するという。

おしゃれな家具が取り揃えられ、壁は出てきたアイデアをいつでも書き留めつつ話ができるようにと、全面ホワイトボードのようになっている。
さらに、いつでも動画配信できる仕組みになっていて、飲み会の席が急に配信されるという驚きの展開も。

 なんでしょうか、歳を取ったせいか、はたまた都会なれしていなせいなのでしょうか、この展開に着いて行けないわたし・・・。

誰でもこのスペースを使えるらしい。実際お弁当をここで食べさせてもらった(笑)。


でも、地域の人がいない。
こちらのスタッフの方々は、「骨を埋める気で石巻に住民表も移しました。これからどんどん新しい事を石巻のためにやっていきます!」と意気込んでいた。

きっとこれからなんだろう。
限られた若い人だけでなく、地域のおじいちゃん、おばあちゃん、こどもたちも憩える場になればいいな~。そして、ヤフーの力で石巻の活性化を図ってほしいと思うのでした。

2012年8月5日日曜日

一味違った 気仙沼・本吉での滞在。

ここ数ヶ月、帰りはフェリー。
フェリーから見る仙台港の夕焼け
これが結構快適なんだな~♪
しかも、仙台から苫小牧までの約15時間、ちょうどいい振り返り時間になってる。

まずは気仙沼・本吉町。最後に行ったのは3月だったかな?気づけば5カ月近くも行ってなかったのね~。
毎回お世話になるのはNPO法人アプカスさんの拠点なのです。活動内容がどんどん発展していて、頭が下がる思いでございます。
そんなわけで、多くの人が訪れる拠点となっているわけですが、こう見えて(?)大勢が苦手で人見知りするわたしは、人がいない時だけお邪魔することにしているのです。

4人で晩御飯 トビウオ~♪
拠点に常駐している可愛い後輩ちゃんと向き合って話をしたいというのも少人数の時を見計らってお邪魔する理由の1つ。完全自己満だな(笑)。毎回遅くまでごめんよ~

いつもは夜に行って、朝帰るという日程で行くことが多いんだけど、今回はなんと2泊して、さらに作業をしたのです!
何度も行きながら、初めての肉体労働(笑)
なんか、すいません。
<(_ _)>

土をまぜまぜ、土嚢に詰めるという作業を炎天下で。
何をしたかと言いますと、仮設住宅の屋根を緑化して少しでも室内の温度を下げるというプロジェクトのお手伝いとして、屋根に植物を植えるための土づくりをしたのです。詳しくは、アプカスさんのWEBサイトを見てくださいね~。

最近めっきり体力づくりを怠っているわたしとしては、実は結構大変だった。
やっぱし、走らないとダメだな~って痛感。土づくりから3日間くらい筋肉痛で笑えた (^o^;)
ただ、翌日に筋肉痛がきてくれて、ちょっと安心した面も。まだ筋肉の反応はそこまで鈍っていないようで(笑)。

交流会の様子
現地に支援に入っているボランティア団体で構成される“本吉ボランティア連絡会”が主催した仮設住宅の親睦会の方々との交流会にも参加。いろいろと考えさせられることがあったな~。
「震災当初よりも行政に関する情報が届きにくくなった」、「ボランティアさんたちへの頼り方が分からない」、「支援物資は最初からあまり貰わず自分たちで頑張っている」、「この先のことを考えると少しでもお金を節約したい。日常的に消耗するものは支援してほしい」などの声が挙がってました。


あとは、拠点の床拭きして~、窓拭いて~、布団干して~、しゃべりまくって~。
役立ったか全く分かりませんが、一味違った滞在となったのでした。


2012年8月3日金曜日

一時保養のお手伝い。山形へ。

昨日から山形に。
今年6月に初めて足を踏み入れ、今回で2回目。
「名は体を表す」という言葉どおり、山形は山に囲まれている。
わたしの中にある “日本の夏” というイメージどおりで懐かしさがこみ上げてくる。

なんで山形?
福島のご家族を山形の小国という場所で一時保養してもらうお手伝いに来ているのです。
今日から6家族のみなさんがゆっくり楽しめるように。

2012年8月1日水曜日

石巻川開き祭り!金華山蛇(龍)踊り奉納そして・・・

石巻川開き祭りは、1916年に始まったお祭りで、戦争や米騒動で中止になったりしながらも、昨年の震災後も開催し、今年で第89回を迎える。
今回は、7月31日、8月1日の2日間行われた。平日だもんな~、と言いながらも、参加せずにはいられないのです(笑)


今回は伝統文化に触れる機会を有難くも頂いた訳です。
それも金華山の蛇踊りへの参加なのです!

ちなみに、金華山と言えば、水産業界では日本でも有数の好漁場の一つとして有名。中でも「金華サバ」は絶品なのです!憧れのサバなのです!!

今回は水産ではなく、伝統芸能であることを忘れてはいけない!
由緒正しき蛇踊りに、道民のわたしなんぞが参加してもいいのか!? なんて思いながらもちゃっかり楽しませて頂きました~


用意された半被に着替える。
まずは形から(笑)。しかし、自然と気合が入るものなのです。
カッコいいわ~

ハチマキを頭に結ぶんだけど、ネジってはいけないらしい。ドギマギするわたしを見かねて、鳴り物の師匠が結んでくれました。
ありがとうござます♪

いざ、練習へ。
本番の前に4種類ある鳴り物の担当者を決め、どのようにリズムを取るのか師匠に教わるのです。

わたしは2番目に音を鳴らすシンバルのような鳴り物を担当。

♪じゃ~ん、しゃ~ん、か~ん、こん♪
ってな感じに順番に鳴らす。
龍がゆっくり動く時はこのリズム。

そして、玉を追いかけて走る時は、
♪じゃん、かん、じゃん、か、じゃん、かん♪
っといった具合に2拍子になる。

簡単そうだけど、師匠に言わせると、
「ちょっと早いな、もう一回」と素人だからと言って半端は許されないのであります。

猛暑の中の練習を終え、石巻小学校へ向かい、最後の打ち合わせ。

はぁ~、ちょっと緊張してきた~

蛇踊りは、川開きのパレードの一種として参加することになっている。
出番は小学生の鼓笛隊の後。
「蛇踊りのみなさん、スタート位置で出発の準備をしてください」という放送が入る。

いざ!出発で~す。


♪じゃ~ん、しゃ~ん、か~ん、こん♪じゃ~ん、しゃ~ん、か~ん、こん♪


時々鳴らすタイミングを逸しながらも、なんとか蛇踊りの見せ場へ到着。
全長20m、重さ100㎏もある龍を龍衆が操ります。その豪快な事といったら!
鳴り物役として一番近くで見られて幸せでした~

蛇踊り修了後、お神酒とお守りを配り、立町の商店街を練り歩くのです。

途中、獅子舞的な感じなのか、子供たちの健やかな成長を祈ってか、頭をくわえてあげていました。中には泣き出す子も(笑)。
改めて、伝統芸能は素晴らしいと感じさせてもらえた。

見物のお客さんにも喜んで頂けたかしら?
いやぁ~、参加させていただき、ありがとうございました!


一汗かいたその後は、いつものように石巻市役所へ。もうこれは職業病とでもいうか、クセというか、習慣というか(笑)。何か役立つ情報、お届けしたい情報はないかと探索するのです。


で、一番の収穫は、高校生がつくる“いしのまきカフェ「 」”が市役所の1階にオープンしていたこと。とりあえず、この日限りだったけど、壁には高校生たちの思いが描かれていた。
「やってみたいこと」や「自分にできそうなこと」などなど。秋にもカフェを企画しているようで、次回の取り組みも期待しちゃいます♪

こんなものも発見。

石巻市教育委員会が作成した「平成23年度 石巻市立小・中・高等学校 心のメッセージ集 東日本大震災を経験して」。
中に書かれている内容は、どれも心を締め付けられるものばかりだった。
小学校1年生のメッセージを1つだけ。

てんごくへいってしまったともだちへ。
つらいあことがあってまけそうなとき
みんなことをおもいだしてがんばります。
まけないよ!


三陸河北新報社の1階では、「こんなときあったね;こどもたちと作る記憶」プロジェクトの写真展が開催中だった。

津波で家族の写真を流されてしまったのが辛いという声を聞き、岩手、宮城、福島のこどもたちに使い切りカメラをプレゼントし、新しいアルバムを作っていこうというもの。

全国各地での写真展を計画しているようです。
でも、活動の資金が足りないようです。
趣旨に賛同される方は、応援してください。



クライマックスの花火。

一日とっても濃かったな。
これまでに、「こんなにたくさんの若者を見たことがない!」というくらい地元の若い子たちがたくさん参加していて、ちょっと安心した。
一方で、年に一度の地元のお祭りだからこそ、知り合い、友人が津波で亡くなったことを初めて知らされるという場面にも立ち会いました。
まだ、そんな事があるのか・・・。
でも、それが今の石巻なんだ。