2013年1月8日火曜日

2013年1月 石巻レポート ~今年も参加、石巻どんと祭 裸参り~

今回、石巻に来たのはほかでもない。
昨年から参加している「石巻どんと祭 裸参り」に参加すること。
この裸参りの行事は今から8年前、5人の有志が計画し、たった二人で実行したことから始まった。
家内安全、無病息災、地域の安全、商売繁盛、そして、東日本大震災からの復興を祈願する。

「3回参加しなければ願いが叶わないんだから、3回参加することが参加の条件だよ」。裸参りを始めた守さんから言われ、最低でも3回は参加すると決心し、今年で無事2回目を迎えることができた。
余談かもしれないが、できれば地元に根付いた行事に育ってほしい。ただ今は、震災によって被災した方々の中には、参加を躊躇する雰囲気がまだあるようにも感じる。
だからこそ、アホなよそ者が一緒に盛り上げることに意味を感じている。

出発前のひと時
2012年は女性の参加者は5人。
2013年はなんと9人!
ピースボートなどのボランティアで石巻に来ている若い子たちが参加してくれた。
この若々しさに押され気味のKさんとわたし(笑)。

サラシを巻いて、半股引と足袋はいて、法被を着て、鉢巻をする。
出発準備完了!
全体で集まり、日本酒で体を温める。
中には出来上がりかけている人も。

それでは、全員集まりましたので、代表の毛利さんからご挨拶。
今年のお題は「一陽来復」。
2013年のお題は『一陽来復』
一陽来復とは、冬が終わり春が来ること。悪いことが続いた後で幸運に向かうことを表す言葉。石巻をはじめ、日本全体、世界全体の一陽来復を願うため、いざ出発!


この日の気温はマイナス2℃。北海道から比べたらなんてことない。なんてことなはい!寒い。
ただ、昨年よりはまだ平気だった。
ちなみに腰に巻いてあるしめ縄は不浄な下半身を清めるためだとか。

まず最初に復興マルシェへ向かいます。全体写真をパシャリ。
そして、お清めのため羽黒山鳥屋神社へ。

上の写真は神社の境内に向かう階段を上っているときの一枚。
雪が降っていたわけでも、雨が降っていた訳でもないけれど、キラキラと光るものが…。謎です。

頂いたお札。裏には名前が。
上まで行き、全員が揃ったところで神主さんによるお祓いが始まる。一人ずつお神酒を飲み、自分の名前が書かれた木札と半紙を渡される。
お札は首から下げ、半紙は‟含み紙”と呼ばれ口にくわえる。
ここから先は裸参りが終了するまで話をしてはいけない。




神社ではどんと焼きが行われており、その火の回りを3周してから神社を後にする。
これがなかなか熱い。今年は例年よりも炎が大きかったようだ。

どんど焼きの炎を3周する
立町商店街、立町ふれあい商店街、駅前を通る。
その間、沿道には何人か応援に来てくれていて、「ご苦労様」とか「ありがとう」とか、声を掛けられる。その声のお陰で、寒さで折れかけた気持ちを持ちこたえさせることができる。

途中、立町商店街にある相沢メガネ店で日本酒を頂く。
寒さに震えた体を温められる一時の安らぎ。
相沢メガネ店さん、ありがとうございます。

温まった後は最後目的地である住吉・大嶋神社へ向かう。
最後の一歩手前で手が驚くほど寒さで痛くなる。そんな私に気づいて、持っていた灯篭を貸してくれる人が。心も温められた。

住吉・大嶋神社に到着すると、再度お祓いをする。
歩きながら祈願していた『一陽来復』を再び心で願った。
お祓いが終わるとおしゃべり解禁に!
「あぁー!寒い!」「早く早く!!」と悲鳴にも似た声でどんと焼きの炎へ向かう。
腰ひもを焼くためだ。

どんと焼きが終了し、今度は神社で配っている甘酒の元へダッシュ!

おば様たち:お疲れ様。寒かったでしょ?これ飲みなさい。
わたし:ありがとうございます。温まりますねー!もう一杯いいですか?
おば様たち:何杯でも飲みなさいねー。
焚き火で温まりながらの甘酒。最高。
裸参りを終え、集合場所の八幡屋さんに戻ると、なんと足を温めるための柚子湯を用意していてくれた。
柚子のいい香りがお店いっぱいに広がり、心底ホッとした。


着替え終わったら、大宴会のスタート。

どうかこの裸参りが石巻に住む方々にとって恒例行事として根付き、観光客が毎年の楽しみとして石巻にやってくるような、そんな行事に育ってくれることを願っています。
そして、一陽来復!

毛利さん、成田さん、守さん、皆さん、大変お疲れ様でした!そして、ありがとうございました。

2013年1月7日月曜日

2013年1月 石巻レポート6 ~日和大橋からの風景から思う~

自転車で石巻を回るのは、車ではできないことがあるから。
その一つが日和大橋の上で止まって、ゆっくりと景色を見渡すこと。

日和大橋の上からは、石巻市内でも被害の大きかった南浜地区を一望できる。
日和山からの南浜町の景色はよく目にするが、日和大橋からの場面はあまりない。
市街地からは少し離れているし、わざわざ自転車もしくは徒歩でこの橋を渡ろうなんてあまり考えないのかもしれない。
でも、ここからの景色は目に焼き付けておきたい。

魚町方面から渡ろうとした時、工事現場のオジサマから笑顔で声をかけられた。

修復される予定の日和大橋の段差。
オジサマ:橋を渡るんですか?
わたし:はい。渡れますか?
オジサマ:大丈夫ですよ。でも、すぐそこに段差があるから気を付けて下さいね。
わたし:分かりました。
オジサマ:明日には直ってますから。
わたし:そうなんですね。お疲れ様です。ありがとうございます。

今はもう、この段差も直っているのだろう。
こうやって、少しずつ津波の傷跡が直っていくんだ。



日和大橋から見る川口町方面
橋をのぼっていくと、造船所跡のがれき仮置場が真横に見える。
その手前は地盤沈下しているのが分かる。
道路の部分だけ盛り土してあるようだ。
さらによく見ると、水たまりになった部分には家の土台のようなものが見える。

実は魚町、川口町、南浜町など、日和大橋から見える風景は1年ほど前から大きな変化はない。
なぜならこの地域は、震災発生から2年間、つまり平成25年3月11日まで建築制限がかかる被災市街地復興推進地域に指定されているためだ。

旧北上川を越え、南浜町方面に進んでいく。
大きな白い建物が3つ見えてくる。
川上から石巻市立病院、石巻文化センター、門脇雨水排水ポンプ場だ。
白い建物は右から石巻市立病院、石巻文化センター、排水ポンプ場
少しずつ、南浜町が見えてくる
被災した廃車の山。右手には文化センター
文化センターをよく見ると、「全撤去」の文字
横断幕に書かれている「毛利コレクション」はほとんどが無事だったそう。
さらに進んで聞くと被災した廃車が山積みになっているのが見えてくる。
たくさんあるように見えるかもしれないが、だいぶ減ったように感じた。
被災した廃車が集められている。
2012年5月の様子

震災当日は、車で逃げようとした人が多かったという。
先月(2012年12月7日)発生した地震で津波警報が出された時も、車で逃げる人が多く各所で渋滞が発生した。
もし、この渋滞中に津波が来ていたら、どれだけ犠牲が出ていたか分からない。

「教訓が活かせていない」と言えばそれまでかも知れないけれど、やはりパニックになると冷静な判断ができないのだろう。
教訓を活かすために、いったい何が必要なのか…。

定期的に避難訓練をしている学校や企業での被害者は少なかった。
このことを考えると、日頃の心構えがいかに大切かを教えてくれている。
地区単位、会社単位での避難訓練のほかに、個人個人がシュミレーションすることも大切ではないかと思う。


これは、被災地だけの話ではない。
日本のどこでも災害は発生する可能性があり、誰でも考えておきたいこと。
今この瞬間に災害が起きたら、わたしたちはまず何をして、どこに逃げるだろうか…?
自分の地域の防災マップを見たことがあるだろうか…?

南浜町 被災した車の向こうに門脇小学校

石巻観光ボランティア協会の齋藤会長の言葉を思い出した。

「自然災害を防ぐことはできないんです。でも、被害を少なくすることはできるんです。防災意識を高く持って、とにかく早く避難することが大切なんです。教訓を活かすためにも、この震災を風化させてはいけないんです。」

2013年1月 石巻レポート5 ~水産業の今~

石巻は水産業のまち。
金華山沖は親潮と黒潮が交わる場所で、日本有数の好漁場として知られている。
水産庁が毎年発表している水産物流通統計を見ても、東日本大震災があった平成23年を除き20年間連続で全国にある200以上存在する漁港の中でトップ10に入る水揚量を誇っていた。

石巻漁港における水揚量の全国順位

ここ20年の取扱高を見てみると、1994年までは量・金額ともに減少の一途を辿っていたものの、1995年以降は変動はあるが取扱額は200億円前後、取扱量は13万トン前後と、ほぼ横ばいで推移していた。
2011年は震災の影響で急激に減少している。

石巻市における水産物取扱高の推移

震災から1年10か月経過した今、石巻の水産業はどのような状態なのか。
石巻の水産業の要である魚町へ向かった。

石巻漁港は昭和49年に新漁港が開港し、水揚岩壁の高さ1,200メートルは日本一を誇り、「東洋一の漁港」と呼ばれていた。

被災前の石巻漁港

しかし震災による影響で、漁港の岩壁がある地盤が約1m沈下した。満潮時には海水面より低くなり、漁港の機能を果たせなくなってしまった。ちなみに石巻市内に44ある漁港が被災し、その被害総額は1580億円にのぼる。
現在は防波堤の修繕、地盤のかさ上げ工事等が進められている。

2013年1月現在の石巻漁港
上記写真の対岸に見える白く横に長細い建物は、仮設の魚市場(石巻市水産物地方卸売市場)。
近くで見ると以下の写真のような感じ。

仮設の荷捌き場
魚市場は震災により全壊。その一部は今でも使われているものの、剥がれた天井が痛々しい。


現在の石巻港の水揚量は震災前の3割にとどまっているとのこと。
石巻で水産加工業を営むある会社の社長さんは、「水揚量が3割では加工業も思うように操業できない。加工業者全体の5割が復旧しているものの、水揚量が3割にとどまっているため、復旧したすべての会社がフル稼働できているわけではない。うちは、原料を北海道などからも引っ張ってきて加工している」と話してくれた。

その水産加工場が集まる場所へ向かうと、震災の爪痕はまだまだ色濃く残っている。
電柱が折れていたり、鼻を突くようなキツイ臭いがする場所もある。
折れたままの電柱

被災したままの加工場
水産加工業は漁業が盛んな石巻にとっては、もちろん主要産業の1つ。中でも蒲鉾の生産量は全国1位だ。
独立行政法人中小基盤整備機構 経営支援情報センターの報告「被災地における水産加工業の現状と課題」では、今後の石巻における水産加工業の復興のためには、付加価値ある製品を作ることが重要なポイントであるとしている。
石巻は比較的安価な魚種が水揚げされていることから三陸沿岸の「原料提供基地」の役割を担ってきた。水産加工業について地域の主要産業にはなってきたものの、‟付加価値の高い分野にまで成長させてこなかった”と報告では指摘している。

確かに、付加価値のある製品づくりは重要なポイントだろう。ただし、この課題は石巻だけが抱えている問題ではなく、北海道を含めた多くの地方水産都市でも同様だ。

もし、石巻がその課題をクリアできれば、全国のモデル事例になるだろう。
震災という悲しい経験をした一方で、その知名度は世界的なものとなった。「ピンチはチャンス」とよく言うが、様々な支援が入り、多くの人材が出入りする今だからこそ、付加価値のある商品づくりができるのではないだろうか。

石巻には金華山の恵まれた水産資源がある。長年培ってきた加工技術がある。
地元だけでは見つけられない石巻の魅力を、石巻が好きで集まってくる人たちと見つけ、それを商品化することを期待したい。

2013年1月 石巻レポート4 ~がれき等仮置場の今~

日和山から海を眺めると、左手に山のように大きくなったがれき仮置場が見える。
以前からこの仮置場の近くがどうなっているのか気になっていた。
石巻駅から旧北上川にかかる内海橋を越えて右に折れ、魚町方面へと自転車を走らせた。
すると、川沿いの建物の多くが壊れたままになっていた。
さらに進むと、空気がホコリっぽくなっていくことに気が付く。
マスクをしてこなかったことを少し後悔した。
ちょうどお昼休みの時間帯だったせいもあり、人とも車ともすれ違わない。
自分しかいないのではないかと錯覚するほどの静けさ。
ただただ、種類ごとに分けられた被災家財の山の間を抜けていく。

そして、目の前に一際大きな仮置場が見えてきた。
いつも日和山から見ている山。
川口町(旧山西造船跡地)の仮置場だ。
近くで見ると本当に大きい。
もちろん、仮置場はここだけではなく、石巻ブロック(石巻市、女川町、東松島市)には全部で29か所ある。
環境省の発表(平成24年12月14日現在)によると、石巻ブロックで発生した災害廃棄物推計量は579万2千トン。
災害廃棄物は、現地より仮置場まで収集・搬入する一時処理は必要全体量の86%が終了。
平成24年10月末には、仮設焼却炉5基(5基分の処理能力:1400t/日)が本格稼働し、全体の約3分の1の処理が完了している(平成24年11月末現在)。

災害廃棄物のほかに津波堆積物の処理も必要で、石巻ブロックの津波堆積物の推計量は305万4千トン。
うち、17%にあたる50万7千トンが処理されたのみ(平成24年11月末現在)。

不燃混合物や津波堆積物などは、最大限再生利用することを目指しており、平成25年1月からは石巻港の埋め立てのための再生資材としての活用も予定されるという。
平成25年度末までにすべての処理の完了を目指しているというが、本当にあと約1年で完了するのだろうか。

日和大橋からこの仮置場を見ると、上に煙突が立っているのが分かる。

これは火災を防ぐために熱を逃がしているそう。
参考:がれき火災が急増(読売新聞、2011年9月20日付け)

ショベルカーの周りに土煙が上がっているのも見える。
作業員さんたちの苦労を思い、健康面が心配になってしまう。

先日、参加した石巻観光ボランティア協会のツアーで、分別は手作業で行われていると聞いた。
気が遠くなりそうだ・・・。

2013年1月 石巻レポート3 ~中瀬の今~

石ノ森萬画館は、日和山から全景を見るのも良いけれど、まちなか復興マルシェから対岸に見るのも迫力があっていい。
天気が良ければ川面がキラキラと光っていて、穏やかな気持ちになれる。

まちなか復興マルシェから見る萬画館
でも、中瀬にわたると所々に津波の傷跡を見て取れる。
最初に気が付くのは、内海橋を挟んで萬画館の反対側にある秋葉神社
津波で被災する前は祠や鳥居があり一目で神社だと分かったが、今はそれが何であったかを想像するのは困難な状態になってしまった。
土台だけになった秋葉神社
萬画館を通り過ぎて中瀬の奥へ行ってみると、護岸されていた部分も崩れたままになっている場所がほとんど。
降雨量が多いとすぐに沈んでしまう。
中瀬の周囲はほとんどが崩れたままになっている
そして、一番目を引くのが自由の女神像。
下半身の半分が流失し、中の鉄柱が露出している。
なんだか寒そうだ。
中瀬にある自由の女神
それでも、この自由の女神は津波が来ても立ち続けていた
その強さは、復活しようとする石巻を象徴するものの1つと言ってもいいような気がする。
復興の象徴に

2013年1月 石巻レポート2 ~中瀬の風景とその変化~

そば処もりや
石巻のディープな部分を探ることを、勝手に毎月の宿題にしている。
探りを入れる前に腹ごしらえ。
石巻で初めて外食したのが、この‟そば処 もりや”さん。
2011年の10月だったか。11月だったか・・・。

石巻千石船の会の辺見さんと二人で食べに来た。
辺見さんは石巻の歴史を知る生き字引。
話がとても面白く、非常に魅力的な人だ。
石巻の宝だと思う。
その辺見さんが、もりやさんが再開していたのを見た時の嬉しそうな顔が忘れられない。

カツカレーそば 900円
その時に食べたのが、カレーそば。
美味しくて、機会があればもりやさんに寄らせてもらっている。
今日はちょっとカロリー多めで、カツカレーそば(900円)にしてみた。

とろとろのカレースープが濃厚で、熱々。
カレーそばにカツを乗せるなんて、今まで出会ったことがなく、とても新鮮な食べ物だった。
でも、寒い冬には最高の食べ物。
でも、「冬は大平うどんを食べるんだよ!」と、後日、地元の方に言われた。
大平うどんを食べる楽しみができた。


お腹を満たし、まずは中瀬に向かった。

現在の中瀬
中瀬とは、旧北上川に位置する中洲。
石巻市のランドマークといわれる石ノ森萬画館旧石巻ハリストス正教会がある。
震災前は1850年頃に誕生した【岡田劇場】もあったが、残念ながら津波で流失してしまった。

白い宇宙船のような建物が石ノ森萬画館。萬画館の向かって右側に岡田劇場はあった。
日和山に設置されている震災前の写真
「震災直後に中瀬の映像を見た時、岡田劇場の場所に建物があったので、‟岡田劇場が残ってる!”と思った。でもそれは下流から流されてきた家と置き換わっていた」という話も聞く。

日和山から中瀬を見下ろせるポイントには震災前の中瀬を撮った写真が設置されている。
この写真の前で立ち止まる人がやはり多く、無言のまま現在の風景と写真との間で視線を行ったり来たりさせている。
見比べると、どれだけ被害が大きかったかが分かる。

中瀬だけでなく、内海橋を渡ってすぐの場所にあった住宅地(橋の右側の付け根)や左対岸にある建物もよく見ると無くなっている。
震災直後、内海橋の上には引かない水から避難させた車や、流れ着いた家の屋根などが存在していた。

石巻駅前
石巻駅がある左岸は、商店街などがある中心市街地であるため、ほとんどの場合、被災した建物が壊され、新たな建物が建設されたりと新しい何かに生まれ変わっていく雰囲気がある。
確かに、物理的には‟復興”していくように感じられる。
ただ、旧北上川を越えると…。
もしくは、中心市街地から自転車で5分も走れば…。

内海橋を越える前に、中瀬の中を散策してみることにした。

2013年1月 石巻レポート1 ~増えてきたSTART、OPEN、復興の文字~

2013年1月7日。石巻。晴れ。
自転車に乗ると、少し風を強く感じる。それが石巻の特徴。
「建物がなくなったから、余計に風が強く感じるようになったな・・・。」なんて話も聞く。

石巻の街角に設置された「津波襲来の地」の石碑
市内を行くと、パッと見は津波がどこまで来たのか分かりづらくなった。
もちろん、忘れないようにするために、石碑なんかも建てられるようになった。
場所によっては、津波がどの高さまできたのかを示す標識も設置されている。
それも復興が進んでいる証拠なのかもしれない。

テレビや新聞などの報道では、津波被災地の様子を取り上げることが減っている。
取り上げられるとしても、新たな復興の動きを伝えるものがほとんど。
確かに、復興が進んでいる様子を耳にするのは嬉しい。

“石巻まちなか復興マルシェ”に掲げられたメッセージ
石巻駅から徒歩10分弱。
旧北上川のすぐ横に‟石巻まちなか復興マルシェ”がある。2012年6月にオープンした仮設商店街。
お正月シーズンということもあり、まだ休業中のお店もいくつかあった。

休憩所に入ってみると、築地から送られたメッセージが目を引く。
何人かの方に話を伺う機会があるが、誰しも応援メッセージは嬉しいという。
「復興の後押しになる」と。




復興マルシェに置かれたパンフレットなど
設置してあったパンフレットを見てみると、‟START”や‟OPEN”、‟復興”の文字が多く使われているのが分かる。
情報紙自体が創刊号だったりする。
文字にされるのは、立て直されてリスタートするもの、新しい動きなど明るい話題が多い。
確かに、明るい話題は増えている。石巻に住む人たちもまた、明るい話題を求めているのかもしれない。
問題を並べ立てるより、明るい話題をちりばめた方が喜ばれるだろうし、見ていて気持ちがいい。



ただ、現地に毎月通っているからこそ見えるものを探すようにしている。
明るい話題の裏にある苦労や課題については、なかなか触れられる機会が少ないのも現状としてあるような気がする。
そこが知りたい。
復興への歩みが見えてきた時こそ、そこにある課題を忘れないようにしたいから。
いつの頃からか、その課題を感じるため、この目で足で見に行くのが自分に課した毎度毎度の宿題になった。

復興マルシェの張り紙