2012年4月6日金曜日

日本人にだってある “自然への畏敬の念”

アメリカの先住民族の人たちの思い(母なる大地、アメリカ先住民族の思い youtube)。よ~く分かる。私にも同じ感覚があるからね。
多くの日本人の根本にはあるはず。でも、なんとなくだけど、忘れちゃってるのかなって思う。

神社やお寺に行けば、大木が空を覆い、神聖な雰囲気を感じる。
宗教云々ではなく、日本の文化や習慣として神社仏閣の森は存在していた。
落ち着く感覚と同時に、薄暗くて何となく肌寒く、ちょっと怖い感じもする。
その感覚が「自然を破壊すると痛い目に合う」という考えにつながっているような気もする。
“人が侵してはいけない領域”が、自然にはあるというか・・・。

それをいつからコントロールできると思うようになっちゃったのか。
1992年、ブラジルのリオデジャネイロで開催された地球サミット。
世界の要人が集まる会議場で、当時若干12歳だったセヴァン・スズキが語った伝説のスピーチから今年で20年になる。
当時、私はこのスピーチを聞いて、「よく言ってくれた!」って思ったのを覚えている。
でも、大人という立場になった今、スピーチの内容が胸に突き刺さるんだな。
今まで何をしてこられたかって。

今年、同じ場所・リオで「国連 持続可能な開発会議(Rio+20)」が開催される。
経済の右肩上がりの成長を求める事が本当の意味で幸せにつながるのか。
もっと別の価値観があるのではないか?
別に江戸時代に戻ろうなんて言ってないし。
もちろん、生きていくためにお金は大切。でも、最終的に大切なのはお金じゃないよね。

日本人ならではの「自然に対する“畏敬の念”」を大切にしながら、周りの人を大切にしながら、豊かな生活は送れるって!
自然を大切にしながら、経済も回していけるって!
両方を求めたっていいじゃない?
どうしてみんな、両立を求めないのか不思議だわ。
欲がないのかね~

2 件のコメント:

  1. 自然への畏敬の念は自然に多く触れてこそ自分の思考の中により芽生えてくるものだと思う。
    人間同士でも相手の事をコントロールできないのに、
    自然をコントロールしようと思う方が何か間違っている気がする。
    仲良くなりたかったら、まず相手を知ることから始めてバランスよくつき合う方法を考えた方がいいと思う。
    そうやって日本人はやってきた気がする。

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    1. mamemameshiさん、コメントどうも!

      “自然への畏敬の念は自然に多く触れてこそ芽生える”。その感覚、大いに賛成 \(^^)/
      都市部では日常的に自然に触れ合う場所が少なく、自然への畏敬の年を芽生えさせることが難しいよね。それこそ、神社とかお寺に残っているくらいかな。

      教育現場では、いくら学校の先生が環境教育を重視していても、自然に触れたことのない保護者は、「川や海に連れて行って、子どもが怪我でもしたらどうするんですか!?」的なことを言う人が多いって聞いたし。
      先生に任せることが多すぎる。親としての責任はどこへ行ったんだ~~~!って言いたくなっちゃうよね。

      相手を知らずして仲良くなれないように、自然のことだって知らなければバランスよく付き合えないよね。
      昔は生活の中に自然を知る機会がもっとあったんだよね。“自然への畏敬の念”を忘れてしまっているのは、お金で買える物に満ち溢れた生活を良しとするようになったからだな。戦後の行動成長期、平成のバブルの弊害だな。
      でも、これからは価値観を変化させないとね。
      限りある資源の限りが見えつつあるんだから。

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