2013年1月7日月曜日

2013年1月 石巻レポート5 ~水産業の今~

石巻は水産業のまち。
金華山沖は親潮と黒潮が交わる場所で、日本有数の好漁場として知られている。
水産庁が毎年発表している水産物流通統計を見ても、東日本大震災があった平成23年を除き20年間連続で全国にある200以上存在する漁港の中でトップ10に入る水揚量を誇っていた。

石巻漁港における水揚量の全国順位

ここ20年の取扱高を見てみると、1994年までは量・金額ともに減少の一途を辿っていたものの、1995年以降は変動はあるが取扱額は200億円前後、取扱量は13万トン前後と、ほぼ横ばいで推移していた。
2011年は震災の影響で急激に減少している。

石巻市における水産物取扱高の推移

震災から1年10か月経過した今、石巻の水産業はどのような状態なのか。
石巻の水産業の要である魚町へ向かった。

石巻漁港は昭和49年に新漁港が開港し、水揚岩壁の高さ1,200メートルは日本一を誇り、「東洋一の漁港」と呼ばれていた。

被災前の石巻漁港

しかし震災による影響で、漁港の岩壁がある地盤が約1m沈下した。満潮時には海水面より低くなり、漁港の機能を果たせなくなってしまった。ちなみに石巻市内に44ある漁港が被災し、その被害総額は1580億円にのぼる。
現在は防波堤の修繕、地盤のかさ上げ工事等が進められている。

2013年1月現在の石巻漁港
上記写真の対岸に見える白く横に長細い建物は、仮設の魚市場(石巻市水産物地方卸売市場)。
近くで見ると以下の写真のような感じ。

仮設の荷捌き場
魚市場は震災により全壊。その一部は今でも使われているものの、剥がれた天井が痛々しい。


現在の石巻港の水揚量は震災前の3割にとどまっているとのこと。
石巻で水産加工業を営むある会社の社長さんは、「水揚量が3割では加工業も思うように操業できない。加工業者全体の5割が復旧しているものの、水揚量が3割にとどまっているため、復旧したすべての会社がフル稼働できているわけではない。うちは、原料を北海道などからも引っ張ってきて加工している」と話してくれた。

その水産加工場が集まる場所へ向かうと、震災の爪痕はまだまだ色濃く残っている。
電柱が折れていたり、鼻を突くようなキツイ臭いがする場所もある。
折れたままの電柱

被災したままの加工場
水産加工業は漁業が盛んな石巻にとっては、もちろん主要産業の1つ。中でも蒲鉾の生産量は全国1位だ。
独立行政法人中小基盤整備機構 経営支援情報センターの報告「被災地における水産加工業の現状と課題」では、今後の石巻における水産加工業の復興のためには、付加価値ある製品を作ることが重要なポイントであるとしている。
石巻は比較的安価な魚種が水揚げされていることから三陸沿岸の「原料提供基地」の役割を担ってきた。水産加工業について地域の主要産業にはなってきたものの、‟付加価値の高い分野にまで成長させてこなかった”と報告では指摘している。

確かに、付加価値のある製品づくりは重要なポイントだろう。ただし、この課題は石巻だけが抱えている問題ではなく、北海道を含めた多くの地方水産都市でも同様だ。

もし、石巻がその課題をクリアできれば、全国のモデル事例になるだろう。
震災という悲しい経験をした一方で、その知名度は世界的なものとなった。「ピンチはチャンス」とよく言うが、様々な支援が入り、多くの人材が出入りする今だからこそ、付加価値のある商品づくりができるのではないだろうか。

石巻には金華山の恵まれた水産資源がある。長年培ってきた加工技術がある。
地元だけでは見つけられない石巻の魅力を、石巻が好きで集まってくる人たちと見つけ、それを商品化することを期待したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿