2015年8月8日土曜日

夏、虫、切ない気分。

家から駅までは歩いて1時間ほど。少々距離があるが、川沿いを散歩気分で気持ち良く歩けるので全然苦にならない。川沿いは原っぱになっていて、一歩進むたびにバッタがびっくりして草から飛び出してくる。もしかすると何匹か踏んでしまっているかもしれない。ごめんよ~、ちょっと通りますよ~。
開けた場所にはバッタが多い。

その時、一際大きなバッタが飛んだ。殿様バッタだ。「あ、この感じ知ってる」。頭の中に幼稚園時代の光景が広がった。「そうだ、わたし、小さい時は北海道に住んでいたんだ」。
幼稚園の頃は宅地造成のために草原が広がっている場所がたくさんあった。そこには無数のバッタがおり、夏になると裸足で原っぱを駆けずり回り、小さな虫かごがバッタでいっぱいになるまで飽きずに獲っていた。虫かごの中で逃げ惑うバッタが、かごの側面に当たる感触まで思い出した。初めて北海道を懐かしいと思った自分に驚いた。

殿様バッタの捕獲なんて、未だに朝飯前である。

先日、友人たちと外で焼肉をした。夏の夜といえば、虫。女子ばかりが集まっていたこともあり、虫よけスプレーでガードし、蚊取り線香もたいていた。虫対策は万全であった。けれど、夏の夜の虫たちは甘くない。次から次へと突撃してくる。まぁ、夏の夜であれば当前であり、殺してもキリが無く無意味に近い。
しかし、彼女たちはキャーキャー言いながら、バンバン殺す。叩いたり、足で踏んだり。仕方ないと思う。でも、やっぱり無意味な殺生に思えて切なくなってくる。一方で、彼女たちの行動を見ていて、とても女子的だと思った。女の子なら虫を嫌がって当然で、なんならその方が可愛げがある。私は女性的ではないなと軽く凹む。「あ、そういえば、私は普通の女の子になりたかったんだ。そうか。それで生き物好きを封印したんだ」。

無類の生き物好きであった私は、幼少時代は何の迷いもなく、虫であろうと爬虫類であろうと何でもかんでも大好きであると公言して憚らなかった。しかし、成長するにつれて、特に思春期のせいだったと思うが、虫を怖がる女子を女子らしいと思い、羨ましいと感じるようになった。蛾であろうとゴキブリであろうと平気で手で触ってしまう自分は可愛くないと感じて、恥ずかしいとすら思うようになっていた。

社会人になり、インタビューを受けた時のこと。今の職業に就いた理由を聞かれた。「生きものが大好きだから」。するとインタビュアーが驚いた顔をして、「前から知っているけど、生き物が好きだなんて全然知らなかった。そんな風に見えないし」。私はショックだった。こんなにも生きものが好きなのに、私以上の生きもの好きはいないと思っていたのに。
思い返せば、ある時から生き物好きを世間様には表現して来なかった。思春期って、自分を偽る時期なのか。しかも偽ったことを忘れていつの間にか偽りの自分が本当らしくなって、本物の好きを忘れてしまうことすらあるのかもしれない。驚いた。

夏は生きものが活動的になる季節。虫を美しいと思う自分を恥じてはいけないし、「生きてるものは何でも大好きだ~!」って叫べる大人になりたいと再確認した。そして、幼少期や思春期の頃の自分を思い出し、なんだか切ない気分になった夏の日なのでした。

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