2015年6月27日土曜日

四季があって勤勉

モンゴルの広大さについて、野生生物について、遊牧民の暮らしについて話をしながらモンゴルの人たちと食事をした。
野生馬であるモウコノウマ、アカシカ、マーモットが荒涼とした大地に佇む写真や、オオカミが月に向かって吠えていた場面に遭遇した話にワクワクする。

「大地があれば何もいらない。大地は草を育ててくれて、家畜が育つ。自然の猛威が家畜を全滅させても、遊牧民は仕方がないと思う。家畜を奪われても、仲間の遊牧民から融通してもらい、増やしたところで割増して返せばいい。GDPからすれば、トヨタがモンゴルを買えてしまう程度でしかない。でも、モンゴルには貧困がない。みんな、肉とミルクが普通に手に入る。アメリカや欧米では金持ちしか牧場を持っていないけど、ぼくたちはみんな持っている。とても豊かだ。大地を大切にして、自然を恨まない。そんな気持ちを持つ遊牧民は、東日本大震災で家を失った人たちが、瓦礫の中から金目のものではなく、子どもの靴やアルバムを真っ先に探す日本人に似ている」と。とても褒められた気がした。

モンゴルでは将来に不安を持つ人は少ないという。保険という概念も無いに等しいらしい。今をゆったりと生きている人々である。正直、羨ましい。
日本人はいろいろなことに保険をかける。健康保険、失業保険、自動車保険、災害保険、海外旅行保険などなど。安心を買う。安定した生活を望み、世界を見渡しても類稀なる勤勉の国。

日本人は勤勉で、常に時間に追われている。なぜか。
実は、四季があるせいではないのか。黙っていたって、季節は巡る。否応なしに、春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が来る。しかも、ざっくり言ってしまえば1つの季節は3か月で区切れる。そんな国は案外少ない。季節が変わることで時間の経過を感じるし、逆に言うと、四季がなければどうやって時間の経過を感じるのか不思議である。

時間に追われたとしても、四季があるのは素晴らしい。それぞれの季節を楽しむ習慣が日本人のDNAに組み込まれていると自分の身体で感じる。それぞれの季節はその瞬間しかない。そう思うと、なんとかその季節を楽しもうと躍起になる。それが風流。
夏の風鈴。「音」で涼むもうとするなんて、洒落た感覚だと思う。うちわで必至で仰ぎながら、スイカにかぶりついたりするのも良い。だから、エアコンが嫌い。せっかくの夏を台無しにする。夏のじめ~っとした暑さは辛い。でもこの辛い状況も楽しむ日本が最高に素敵。勤勉なのは四季がそうさせるとして、季節ごとの過酷さを楽しむ感覚も忘れたくない。だってもし、季節を楽しむことが無くなれば、ただの勤勉な人になってしまう。それって面白くない。

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