2012年6月17日日曜日

2011年3月のわたし。

東日本大震災から1年3か月が経過した。
中途半端な気もするけど、自分的に東北に通い始めて丸一年が経過したから、節目ってことで振り返ってみようと思う。

3月11日(金)。風力発電とバードストライクについて考えるシンポジウム「自然エネルギーと社会的合意形成のためのフォーラム ~風力発電の開発と鳥類保全を巡って~」に参加していた。巨大な風車は自然エネルギーを作るために重要な施設だけど、オジロワシ等の貴重な鳥を含め、鳥が風車に激突して死んでしまうバードストライクが問題となっている。そこで、風力発電と野鳥の共存を考えるシンポジウムが開催されていたという訳。
場所は、札幌エルプラザ。

まさか、この後、想像を絶する災害が起きるなんて考えもしなかった。

2011年3月11日14時45分に撮ったシンポジウムの写真
14時46分。明らかにいつもとは違う長い揺れの地震が何度も発生。震度は4だったと思う。シンポジウムの会場には天井から大きなライトがぶら下がっていて、ゆさゆさと大きく揺れていた。その下にはパネリストの方々が座っていたけど、館内放送が流れ、「この建物は安全です。冷静に行動してください」というような放送が繰り返し流されていた。

鳥取西部沖地震(震度5強)を経験して以来、地震が怖い。自分ではどうすることもできない力に為す術がないから。 この日も会場から逃げたかったけど、振り返ると空気って怖いって思う。みんなが逃げないと逃げられないもんだ。今回の地震で札幌は何という事はなかったけど、もしこれが大きな地震になっていたら・・・。東京等では、確か天井が落ちて亡くなった人もいる。もしも・・・、考えるとゾッとする。

しばらくして、大阪に出張中だった上司のUさんから電話がかかってきた。「札幌は大丈夫?震源地が東北みたいで、こっちでは東北の人たちをどうやって帰すか考えてるとこ」。この日は、たまたま所属する組織の全国会議が大阪であり、仙台からも出席している人が2人ほどいた。考えたら、この時すでに津波がきていたのかもしれない。仙台行の電車や飛行機はすべてもちろん止まっていた。
「札幌は大丈夫です」。いつもとは違う雰囲気に会場もざわめいていた。大丈夫と言ったものの、変な緊張感があった。それでもシンポジウムは最後まで行われ、すべてのプログラムを終了させた。確かシンポジウムが終わったのは17時くらい。会場を出ると号外を手にした人が何人かいた。覗き見ると、理解できない光景を映し出した写真が大きく掲載されていた。津波の写真だ。でも、あまりにも非現実的で、すぐには呑み込めなかった。悠長にもパネリストの一人を捕まえて18時頃まで話していた。

会場を後にし、家に着いた時にテレビを見て、事態の深刻さにやっと気が付いた。津波で街が呑み込まれる映像が何度も何度も流され、画面の上の方には行方不明者数、死者数の数字が表示されいてた。刻一刻とその数字が増えていく。津波による大火災もあちこちで発生していた。東北だけでなく、関東でも液状化や火災が発生しているという情報に焦った。ほとんどの親戚や友人は関東にいるから。しばらくは電話が通じたけど、震災発生の数時間後には携帯もインターネットも固定電話も使えなくなった。幸いにもメールは結構使えたから、何とか連絡を取ることができたけど、安否確認をするまではとても不安だったのを覚えている。


そして、福島第一原子力発電所での事故。もう、日本は終わると思った。もちろん今でもこの事故は終わっていない。
とにかく、この日を境にテレビは信用しなくなった。その代りインターネットに釘づけになり、夜も眠れなかった。原発が爆発したらどうしようって、そればかりが気になった。だけど、一番そばにいてほしい人はそばにいないし、怖くて辛かった。2、3日はただただ状況を見守ることしかできなかった。

でも、何かできることはないか、情報が飛び交う中で信用できる情報を集めて発信することはできるのではないかと思った。デマも多かったけど、支援の情報も出始めていたし、現地に入って活動を始めた団体もいたから、この団体をバックアップする方法はないかって、考えた。それで何人かに協力してもらいながら震災関連の情報を集約するサイトを10日後の3月21日に立ち上げた。

絵:ふじかけくみこ

それからは情報収集をやたら頑張ってやっていた気がする。周囲の人が引くくらいだったかも。あぁ~、今も引かれてるかも。何も動こうとしない人たちに苛立ったりもした。
現地に行きたかった。福島の原発は怖かったけど、津波の被害に遭った人たちを現地で支えたかった。でも、ちょうどこの時、祖父が脳梗塞で倒れ、いつどうなるか分からない状態だったから、やっぱり札幌を離れることはできなかった。

とにかく、自分にできることは信頼できる情報を集めて発信し、北海道の団体で現地で活動している人たちをバックアップすることだと決めた。それで、3月はとにかく過ぎて行った。

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