その一つが日和大橋の上で止まって、ゆっくりと景色を見渡すこと。
日和大橋の上からは、石巻市内でも被害の大きかった南浜地区を一望できる。
日和山からの南浜町の景色はよく目にするが、日和大橋からの場面はあまりない。
市街地からは少し離れているし、わざわざ自転車もしくは徒歩でこの橋を渡ろうなんてあまり考えないのかもしれない。
でも、ここからの景色は目に焼き付けておきたい。
魚町方面から渡ろうとした時、工事現場のオジサマから笑顔で声をかけられた。
修復される予定の日和大橋の段差。 |
わたし:はい。渡れますか?
オジサマ:大丈夫ですよ。でも、すぐそこに段差があるから気を付けて下さいね。
わたし:分かりました。
オジサマ:明日には直ってますから。
わたし:そうなんですね。お疲れ様です。ありがとうございます。
今はもう、この段差も直っているのだろう。
こうやって、少しずつ津波の傷跡が直っていくんだ。
日和大橋から見る川口町方面 |
その手前は地盤沈下しているのが分かる。
道路の部分だけ盛り土してあるようだ。
さらによく見ると、水たまりになった部分には家の土台のようなものが見える。
実は魚町、川口町、南浜町など、日和大橋から見える風景は1年ほど前から大きな変化はない。
なぜならこの地域は、震災発生から2年間、つまり平成25年3月11日まで建築制限がかかる被災市街地復興推進地域に指定されているためだ。
旧北上川を越え、南浜町方面に進んでいく。
大きな白い建物が3つ見えてくる。
川上から石巻市立病院、石巻文化センター、門脇雨水排水ポンプ場だ。
白い建物は右から石巻市立病院、石巻文化センター、排水ポンプ場 |
少しずつ、南浜町が見えてくる |
被災した廃車の山。右手には文化センター |
文化センターをよく見ると、「全撤去」の文字 横断幕に書かれている「毛利コレクション」はほとんどが無事だったそう。 |
たくさんあるように見えるかもしれないが、だいぶ減ったように感じた。
被災した廃車が集められている。 |
2012年5月の様子 |
震災当日は、車で逃げようとした人が多かったという。
先月(2012年12月7日)発生した地震で津波警報が出された時も、車で逃げる人が多く各所で渋滞が発生した。
もし、この渋滞中に津波が来ていたら、どれだけ犠牲が出ていたか分からない。
「教訓が活かせていない」と言えばそれまでかも知れないけれど、やはりパニックになると冷静な判断ができないのだろう。
教訓を活かすために、いったい何が必要なのか…。
定期的に避難訓練をしている学校や企業での被害者は少なかった。
このことを考えると、日頃の心構えがいかに大切かを教えてくれている。
地区単位、会社単位での避難訓練のほかに、個人個人がシュミレーションすることも大切ではないかと思う。
これは、被災地だけの話ではない。
日本のどこでも災害は発生する可能性があり、誰でも考えておきたいこと。
今この瞬間に災害が起きたら、わたしたちはまず何をして、どこに逃げるだろうか…?
自分の地域の防災マップを見たことがあるだろうか…?
南浜町 被災した車の向こうに門脇小学校 |
石巻観光ボランティア協会の齋藤会長の言葉を思い出した。
「自然災害を防ぐことはできないんです。でも、被害を少なくすることはできるんです。防災意識を高く持って、とにかく早く避難することが大切なんです。教訓を活かすためにも、この震災を風化させてはいけないんです。」
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