金華山沖は親潮と黒潮が交わる場所で、日本有数の好漁場として知られている。
水産庁が毎年発表している水産物流通統計を見ても、東日本大震災があった平成23年を除き20年間連続で全国にある200以上存在する漁港の中でトップ10に入る水揚量を誇っていた。
石巻漁港における水揚量の全国順位 |
ここ20年の取扱高を見てみると、1994年までは量・金額ともに減少の一途を辿っていたものの、1995年以降は変動はあるが取扱額は200億円前後、取扱量は13万トン前後と、ほぼ横ばいで推移していた。
2011年は震災の影響で急激に減少している。
石巻市における水産物取扱高の推移 |
震災から1年10か月経過した今、石巻の水産業はどのような状態なのか。
石巻の水産業の要である魚町へ向かった。
石巻漁港は昭和49年に新漁港が開港し、水揚岩壁の高さ1,200メートルは日本一を誇り、「東洋一の漁港」と呼ばれていた。
被災前の石巻漁港 |
しかし震災による影響で、漁港の岩壁がある地盤が約1m沈下した。満潮時には海水面より低くなり、漁港の機能を果たせなくなってしまった。ちなみに石巻市内に44ある漁港が被災し、その被害総額は1580億円にのぼる。
現在は防波堤の修繕、地盤のかさ上げ工事等が進められている。
2013年1月現在の石巻漁港 |
近くで見ると以下の写真のような感じ。
仮設の荷捌き場 |
現在の石巻港の水揚量は震災前の3割にとどまっているとのこと。
石巻で水産加工業を営むある会社の社長さんは、「水揚量が3割では加工業も思うように操業できない。加工業者全体の5割が復旧しているものの、水揚量が3割にとどまっているため、復旧したすべての会社がフル稼働できているわけではない。うちは、原料を北海道などからも引っ張ってきて加工している」と話してくれた。
その水産加工場が集まる場所へ向かうと、震災の爪痕はまだまだ色濃く残っている。
電柱が折れていたり、鼻を突くようなキツイ臭いがする場所もある。
折れたままの電柱 |
被災したままの加工場 |
独立行政法人中小基盤整備機構 経営支援情報センターの報告「被災地における水産加工業の現状と課題」では、今後の石巻における水産加工業の復興のためには、付加価値ある製品を作ることが重要なポイントであるとしている。
石巻は比較的安価な魚種が水揚げされていることから三陸沿岸の「原料提供基地」の役割を担ってきた。水産加工業について地域の主要産業にはなってきたものの、‟付加価値の高い分野にまで成長させてこなかった”と報告では指摘している。
確かに、付加価値のある製品づくりは重要なポイントだろう。ただし、この課題は石巻だけが抱えている問題ではなく、北海道を含めた多くの地方水産都市でも同様だ。
もし、石巻がその課題をクリアできれば、全国のモデル事例になるだろう。
震災という悲しい経験をした一方で、その知名度は世界的なものとなった。「ピンチはチャンス」とよく言うが、様々な支援が入り、多くの人材が出入りする今だからこそ、付加価値のある商品づくりができるのではないだろうか。
石巻には金華山の恵まれた水産資源がある。長年培ってきた加工技術がある。
地元だけでは見つけられない石巻の魅力を、石巻が好きで集まってくる人たちと見つけ、それを商品化することを期待したい。
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