2012年4月12日木曜日

被災家財。

2011.5.27

なんだかんだ言いながら、毎月のように東北に通っている。いつもは宮城県・石巻に行くんだけど、時々、気仙沼や南三陸町にも行くし、時間があれば他の地域にも足を延ばすようにしている。
本当にただただ通っているだけで、ほとんど役には立ってないんだけど、通っていると知り合いがどんどん増えるもんで。その人たちに会いたくなっちゃうんだな。
最近は「現地を案内してほしい」、なんて言われることも。被害を受けた現地に足を運ぶことを躊躇する人が多いけど、やっぱり自分のその目で現状を見てほしいなって思う。テレビや新聞など、平面的に見るのと、直接五感で感じるのとでは全然違うから。だから現地入りを後押ししてしまう訳なんだけど・・・。

2011.9.13
 そんな中、“ハッ”とさせられることがあった。それは、いわゆる「ガレキ」のこと。
 東北に通い始めた当初は、生活感の溢れるものが普通に散乱していて、とても「ガレキ」とか、ましてや「廃棄物」なんて言葉で表してはいけないと思っていた。カメラだって向けちゃいけないって。
なのに、“慣れる”という感情は時として悲しいもので、最初に受けたその感覚を忘れちゃったんだな。普通に「ガレキ」って言うようになってた。

その心の変化を気づかせてくれたのが、一番の友人。先月、家族連れで石巻に来てくれた。南三陸町を案内しながら、「ガレキの処理がなかなか進んでなくて・・・」と言った瞬間、「ガレキじゃないよ!生活していた思い出じゃん。ガレキじゃない!」って泣き始めた。それはもう、トンカチで頭を殴られたよな感じだった。なんか泣きそうになったけど、我慢した。友人の肩をさするだけで精一杯だった。
2012.3.23

それで、「なんて呼べばいいんだろう・・・」って考えた。でも、答えが全然見つからなくて。
東北の人に聞いてみた。「ガレキの山を見て、人間は結局“ゴミ”しかつくってこなかったことを思い知った」という。「いかに、物のあり余る生活をしていたか。その事実に愕然とした」と・・・。それも分かる。でも・・・。
そんな時、twitter上で同じように考えている人がいた。その人も呼び方に悩んでいたと。出した答えが“被災家財”。 そう呼んでほしいとつぶやいていた。“被災家財”。なるほど。ちょっとシックリきた。そんな呼び方があってもいいじゃない。

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