2012年6月17日日曜日

2011年5月。とっても辛くて、でもそれ以上に温かい1年の始まり。

2011年の4月は、ただひたすら情報収集に明け暮れていた。
大学の同窓生の団体も被災地に入り始め、とにかく支援したかった。彼らからの情報だけでなく、北海道から現地に行っていた団体の人たちとコンタクトを取りながら、今、何が東北で必要なのか?被災地入りしている団体をどうしたら支援できるのか?どうやったら集めた情報を役立つ形で発信できるのか?
寝る間を惜しんで役立つ情報を探し、発信していた気がする。


だって、震災に遭った東北の人たちは、寒くて、お腹も空いてて、中には家族がどうなったかも分からない人もたくさんいて・・・。福島では津波の被害に加え、原発事故も起きているし。人ももちろんだけど、家畜やペットも悲惨な目に遭っているし。なんか頭の中で辛い光景がグルグルしていた。

一方で、祖父の容体が悪かったため、病院と家と職場を行き来していた。意識がほとんど無い中で、孫の私たちが行くと反応がいいって言われてた。気づいてくれているのか、なんか嬉しかった。少しでもその反応に応えたかったけど、硬くなってしまった筋肉をマッサージすることしかできなかったな。頑固だった分、大きく見えていた祖父がとても小さく感じられた。
そして、4月14日早朝。祖父が亡くなった。1月に倒れてから何度も何度もダメだと言われ、4か月間も頑張ってくれた。今でも祖父がいないのは不思議な感覚だ。

この間もずっと被災地に足を運ぶように同級生たちが声をかけ続けてくれた。それでもすぐには被災地に足を運べなかった。正直、行きたい気持ちと同じくらい恐怖心もあったんだと思う。行っても迷惑になるだけじゃないかとも思っていたし。
なかなか踏ん切りがつかないまま、4月が終わり、5月が来て、ゴールデンウィークが過ぎた。

この頃になると、現地を見ないままで支援することに限界を感じ始めていた。 今思うと、こちらの支援したい気持ちを現地に押し付けようとしていたのかもしれない。現地のニーズと支援側の思いにずれが生じ始めているように感じた。
「もう限界だ。現地をこの目で見て、できることを見直さなきゃ」。そう、心に決めた。


そして、祖父の四十九日の直前に被災地へ行く機会が巡ってきた。それは5月26日~29日という、たったの3泊4日。拠点は石巻。とにかく現状を把握するために足を運ぶことにした。何がどうなってるのか全然分からなくて、長靴、マスク、ゴーグルなんかを持参したけど、結局どれも使わなかった。
現地の状況を見て、北海道の人に伝えたいという気持ちもあった。それでカメラを買った。小さいやつ。大きいカメラを持って歩くことは被災地の人に失礼だと感じたから。でも結局、4日間で撮った枚数は37枚。しかも会議の様子や掲示板などがほとんどで、被害状況を映すことがほとんどできなかった。今は東北に入れば1日300枚近く撮る事を考えると、すごい差だ。

2011年5月27日。東北で初めて撮った写真。どこかの体育館で支援物資を地区ごとに仕分けていた。気仙沼の本吉?


この時を振り返ると、気仙沼から南三陸、石巻に連れて行ってもらったのに、その状況を写真に収めてなくてもったいなかったと思う。記録は重要だから。でも、精神的に撮れなかった。
さらに言うと、感覚的にこの3泊4日はとても長く感じた。もっと長く滞在したような感覚がある。どうしてか分からないけど、とにかく長かった。


あまりの被害の大きさに太刀打ちできないと思った。自分がちっぽけで何もできないと心底思った。とにかく途方に暮れた。
でも、必死にできることを考えた。考えて考えて、話すのを忘れるくらい考えた。

考えた結果、自分にできそうなことをノートに書き留めた。5つくらいの目標を立てて、今年の3月までに1つ以外は全部実現した。この1つは時間がかかる課題だったと今は分かる。でも、ほぼ目標を実現した訳で、真剣にやればできるってことを実感できた。人生の中でもかなり頑張った1年になった。実現したことは小っちゃい事かもしれないけどね。

被災地に足を直接運んだことで見えてきた課題、二―ズがあり、厳しい状況を直接見たからこそ、それまで以上に本気で動き始めることができた。それは、この5月から東北通い生活が始まったという事を意味している訳で、ここからとっても辛くて、でも、それ以上にとっても温かい一年が始まったんだ。

2 件のコメント:

  1. 震災が起きてからあなたは本当によく動いているなと感心していました。
    ボランティアは押し付けられるものではなく、自発的に行うものだと思うので、その点から言えばあなたのしていることはまさにそれだと思います。

    周りの方々にも頭のさがる思いです。

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  2. 動かないと気持ち悪くて。
    何をするという訳でもなく、ただただ石巻の人と話しに行くだけだからね。
    今となっては、私が行きたいだけなの。その気持ちを石巻の方々に受け入れてもらってるって思ってる。
    有難いことですね。

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